音研21は、結成以来ほぼ年に一度のペースでのオペラ、オペレッタを無料で上演してまいりました。

オペラというと、とっつきにくい、堅苦しいというイメージをお持ちになる方も多いと思いますが、オペラをはじめてご覧になる方やあらすじがわからない方にも気軽に楽しんで頂けるような舞台づくりを心がけています。

そして、お客さまに内容をすぐに理解していただけるように日本語で上演しております。そのため、日本語の発音には特に気をつけて練習しています。すばらしいオペラ作品の数々をお客様に気軽に楽しんでいただけるよう、これからも精進していく所存でございます。

是非、一度音研21の舞台を観にいらしてください。


フランチェスコ・チレア
Francesco Cilea(1866〜1950 イタリア)

イタリアのパルミに生まれる。

オペラ「アルルの女」や「アドリアーナ・ルクヴルール」を作曲し、ヴェルディ後のイタリアオペラ界で、プッチーニ、レオンカヴァッロ、マスカーニ、ジョルダーノとともにヴェリズモ・オペラの騎手となる。これらの作曲家の中でも最も叙情的な資質を持ち合わせた作曲家であると言われている。

また、チレアは音楽学校の経営や教育にも尽力しフィレンツェ、パレルモ、ナポリなどで教鞭を取った。

ピアノ曲や室内楽曲もいくつかあるが、広くは知られていない。


アドリアーナ・ルクヴルール

第一幕 舞台脇の控えの間

1730年、パリのコメディ・フランセーズの楽屋で。舞台監督のミショネは女優のアドリアーナに結婚をほのめかそうとするが、彼女にはマウリツィオという恋人がいるので、ミショネを恋愛の対象としては見ていない。楽屋にマウリツィオが訪れ、アドリアーナはスミレの花を彼に贈る。彼女が舞台にでていくとブイヨン公爵が登場する。彼は自分が寵愛する女優デュクロの手紙を盗み見て、今夜マウリツィオを逢い引きに誘っていると早合点し、その計画を邪魔してやろうと同じ場所でパーティを開催することを目論む。だが実はデュクロの手紙はブイヨン公爵夫人とマウリツィオとの密会をお膳立てする偽の手紙だった。アドリアーナが舞台から戻ってくると、ブイヨン公爵がアドリアーナら劇団員を自分の別荘に誘う。

第二幕 女優デュクロの別荘

ブイヨン公爵夫人はすでに夫の愛人で女優デュクロのものになってしまった別荘で、マウリツィオを待っている。マウリツィオは公爵夫人に政治的駆け引きのために逢いに来たのだが、彼女が心変わりを責めるので、アドリアーナのスミレの花を公爵夫人に贈る。そこへブイヨン公爵とアドリアーナたちがやってくる。慌てて隠れる公爵夫人。アドリアーナは自分の恋人が貴族であることを知って驚く。マウリツィオはアドリアーナに政治的事情でこの女性を逃がして欲しいと、頼み事なきを得る。だが互いに暗闇の中で二人の女は恋敵同士であることを直感し、激しい闘争心を燃やす。

第三幕 ブイヨン公爵邸

ブイヨン公爵邸の大広間で夜会を開いている。アドリアーナやマウリツィオもよばれている。公爵夫人はアドリアーナの前でマウリツィオは決闘で倒れたという偽りの情報を流して、顔色を伺い、別荘で直感した女性がアドリアーナであることを確信する。アドリアーナの方も夫を裏切った淫らな女フェドーラのセリフを夜会で披露して、演技と思わせながら公爵夫人に攻撃的に当てつける。

第四幕 アドリアーナの家

アドリアーナは病気で療養中。ミショネは父親のように励ましている。団員たちもおとずれ、復帰できるようにと励まして帰る。マウリツィオの名前が書いた小箱が届けられる。中には以前送ったスミレの花がしおれて入っていた。アドリアーナは恋人の心変わりを花に託して悲しむ。マウリツィオがやってくる。心変わりしたと思いこんでいるアドリアーナは冷たく振舞おうとするが、彼の熱心なプロポーズの言葉に心を動かされる。しかし、アドリアーナの様態が急変した。スミレの花に中に毒が入っていたのだ。その花はブイヨン公爵夫人が送ったものだった。誤解は解けるのだが、すでに彼女の全身には毒がまわっていた。ミショネとマウリツィオに看取られてアドリアーナは息を引き取る。

ジャコモ・プッチーニ
GIACOMO PUCCINI(1858〜1924 イタリア)

ルッカの大聖堂のオルガニストを代々勤める、名門の音楽一家の家に生まれる。宗教音楽家としての人生を送るべく、教育を受けていたが、18歳のとき、ピサで見たヴェルディの「アイーダ」を見て、オペラ作曲家を夢見ることになる。

ミラノの王立音楽院で、パッチーニとポンキエルリに師事。卒業後、師のポンキエルリの計らいで、「妖精ヴィルリ」の台本をもらい、ソンツォーニョ社の一幕ものオペラ懸賞に応募、入賞は逃したものの、ポンキエルリ、ボーイトらの計らいで、1884年に上演、成功を収める。これを機に当時イタリアオペラ界に絶大な力を持っていたリコルディ社(楽譜出版社)と契約。しかし次の作品「エドガール」は失敗に終わる。

三作目の「マノン・レスコー」では、台本作者がなかなかプッチーニの気に入らず、最後にリコルディ社社長のジューリオの計らいでイルリカとジャコーザのコンビが実現。初演は大成功で以後、プッチーニを加えた3人は黄金のトリオと呼ばれて、「ラ・ボエーム」,「トスカ」,「蝶々夫人」と、後の代表作を次々と作曲する。「蝶々夫人」のスカラ座初演は散々な失敗であったが、後に改訂、ブレシアでの再演では大きな成功を収めた。

その後、メトロポリタンでの初演が大成功した「西部の娘」、さらに「つばめ」、「三部作」を発表するが、以前ほどの大きな成功は収めなくなっていた。最後の作品「トゥーランドット」は未完の遺作となった。

1924年、喉の腫瘍によりブリュッセルにて死去。「トゥーランドット」は1926年にトスカニーニにより初演され、プッチーニの代表作の一つとなる。


蝶々夫人

第一幕 長崎の丘(喋々さんとピンカートンの結婚式)

明治時代、長崎の丘の上の新居での結婚式の日。喋々さん(15歳)は日本に在任していたアメリカ人の士官ピンカートンにめぐり会い、結ばれることになる。しかし、ピンカートンはアメリカに帰ったら正式に嫁をもらうと言ってはばからない。ピンカートンにとって蝶々さんはお金を出して買った芸者だった。ピンカートンは、アリア「ヤンキーは世界のどこにいっても」を歌う。ピンカートンと領事のシャープレスが乾杯しているところに、喋々さんの花嫁の一行がやって来る。可愛らしい花嫁姿の喋々さんに、領事が身の上を訊ねると、昔は良家の子女だったが没落したと話す。父親は切腹して死んだという。喋々さんはピンカートンに、前日1人で教会に行ってキリスト教に改宗したことを伝える。神式の三三九度の杯を交わし、芸者たちは着飾り、踊り、祝宴が行われる。すると、坊主が「耶蘇教になった」という大声が聞こえてくる。ピンカートンは泣く蝶々さんを思いやりながら甘い愛の二重唱を歌う。

第二幕
第一景

ピンカートンが米国に帰って3年が過ぎた。喋々さんは再会を夢みながら「ある晴れた日に」を歌う。シャープレス領事は、ピンカートンが米国で結婚したことを伝えようとしたが、蝶々婦人がピンカートンを信じきっているので伝えることができない。ピンカートンが乗った船が入港したことを知った蝶々婦人は、スズキと一緒に部屋に花をまき、花の二重唱「桜の枝をゆさぶって」を歌って夫の帰りを待つ。「ハミングコーラス」が流れ幕になる。

第二景

夜通し寝ずに待つがピンカートンは現れない。その後、ピンカートンと夫人ケイトが現れる。ピンカートンはその場の光景を一目見て、待ちわびていた喋々さんの心情を知り、アリア「さらば愛の巣」を歌い、その場を去ってしまう。ケイトは、蝶々さんの子供を引き取りたいとスズキに伝えてくれるように頼む。蝶々さんはその願いをききいれて、子供を米国にやることにし、そして心を決める。子供を抱きしめながら最後のアリア「さよなら坊や」を歌う。父が使ったものと同じ短刀で喉を刺す。ピンカートンの「喋々さん」と呼ぶ声が聞こえてくる。喋々さんは、子供の方に手をさしのべながら倒れる。

レオンカヴァルロ
(1857〜1919 イタリア)

イタリア、ナポリに生まれる。父親は地方検事、母親は画家兼彫刻家の娘。幼少の頃、ピアノを勉強、9歳でナポリの音楽院に入学し、作曲、ピアノ、和声を学ぶ。やがて、台本作曲家となる。

主な作品:オペラ

1892年 「道化師」 ミラノで初演
1897年 「ラ・ボエーム」
1900年 「サザ」
1921年 「伯爵夫人マリツァ」

主な作品:オペレッタ

1908年 「フィガロの結婚」
1912年 「バラの小公女」

代表作はオペラ「道化師」。1865年、レオンカヴァルロは予審判事の父の任地、南イタリアのコセンツァにいたが、近隣の村で芝居の最後に見物人が殺される事件が起きた。オペラ「道化師」はこの実話をもとに作られたと言われている。

歌曲では「マッティナータ」が有名。


パリアッチ

第一幕

イタリアの小さな村はずれに旅芝居の小屋がある。今日、8月15日は聖母昇天祭の日で、通りは人々で賑わっている。

そこへ、旅役者の一行が戻って来る。座長のカニオ、妻のネッダ、ネッダに想いを寄せるトニオなどである。やがて人々は教会へ礼拝に向かい、役者たちは芝居小屋へ入り、ネッダ1人あとに残る。ひそかに通じている村の若者シルヴィオのことを、カニオに知れたらと思う不安を消すように小鳥のさえずりにあわせて歌うのである。

そこへトニオが来て、ネッダに想いをうちあけるが、馬鹿にされ立ち去る。

そのあと現れたシルヴィオとの抱擁を、戻ったトニオに見られ、カニオにも知られる。

妻の裏切りを知ったカニオは、ネッダを刺そうとするが、芝居の始まる時間だからと、ペッペに止められ、悲しみをこらえ、涙をおしろいでかくし、人を笑わす道化役者のつらさを嘆く。

第二幕

芝居小屋にはたくさんの客がつめかけており、その中にはシルヴィオの姿もある。

幕が開くと、ネッダ扮するコロンビーナが、カニオ扮するパリアッチョの留守に、愛人アレッキーノを家に呼び込もうと、そわそわしている。トニオ扮する召使いのタデオが買い物から帰り、現実と同じ様にコロンビーナに言い寄る。コロンビーナはタデオを追い払い、窓の外のアレッキーノを呼び楽しく食事を始める。そこへ、パリアッチョが帰って来る。

芝居が進むにつれ、舞台と現実が錯綜してしまい、興奮したカニオは、ネッダを突き刺し、観客の中にいたシルヴィオも刺し殺してしまうのである。

大騒ぎになる観客に、カニオは呆然として告げる。「喜劇はおしまい!」

マスカーニ
(1863〜1945 イタリア)

パン屋の息子。幼少の頃より音楽の才能を示し、弁護士にしようと思っていた父親を説得し、音楽を学ぶようになった。

16歳の時にハ短調交響曲を完成するに至る。

1882年ミラノ音楽学院に入学。

ボンキエッリに師事、プッチーニらと交友関係を結ぶ。しかし、学校での勉強より、実践の方が好きな彼は、せっかく入った音楽学院を飛び出し、オペレッタ巡業団とともに指揮者としてどさ周りをする。この頃1つ年上のパルマのオルガニストのアルジェニーデ・マルチェリーナと知り合う。彼女は表面上は内気でおとなしいが、内面は情熱的で意欲的であった。

その後 彼女は旅団に入り、マスカーニと一緒に旅に出た。ブーリア州に着いた時にマルチェリーナの妊娠を知り、旅の続行を止め、その州の楽師長となりマルチェリーナと結婚した。

1895年からべーザロの音楽院の院長に任命され学生達のために「ザネット」を作曲している。

その他 日本を題材とした「イリス」でも成功している。第2次世界大戦後ファシストに協力した作曲家として全財産を没収され、不遇のうちに1945年他界した。

主な作品:オペラ

1901年 「仮面」
1905年 「アミーカ」
1911年 「イザボー」
1913年 「パリジーナ」
1917年 「ロドレッタ」

主な作品:オペレッタ

1919年 「ハイという名のお嬢さん」
1921年 「小マラー」
1932年 「ビノッタ」
1935年 「ネローネ」


カヴァレリア・ルスティカーナ

全一幕

舞台は、1890年頃の復活祭の日、イタリアのシチリア島のとある村。

トゥリッドゥとローラは恋人同士だった。トゥリッドゥは兵隊に行かなければならないことになった。すると、ローラは馬車屋のアルフィオと結婚してしまう。

兵役から戻ったトゥリッドゥはそれを知り落胆する。それを慰めたサントゥッツァと恋仲になる。それを知ったローラはトゥリッドゥに誘いをかけ、あろうことかアルフィオのいない間に浮気をしてしまう。

思いあまったサントゥッツァはアルフィオに一部始終を話す。怒り狂ったアルフィオは、トゥリッドゥに決闘を申し込む、のではなく、なぜかトゥリッドゥがアルフィオに決闘を申し込む。

決闘に行く前、トゥリッドゥは「母さん、あの酒は強いね」を歌い、母ルチアに「もしも自分が帰らなかったらサントゥッツァの面倒を見て欲しい」と言い残す。そして、ルチアとサントゥッツァは、村人たちが「トゥリッドゥが殺された!」という叫び声を聞く。

レハール
Franz Lehar(1870〜1948 オーストリア)

オーストリアの作曲家、指揮者。

ドイツ人軍楽隊長の父とハンガリー人の母の間に生まれる。父から音楽を教授され、プラハ音楽院でバイオリンと音楽理論を学ぶ。ドボルザークの勧めで作曲家に転身。応召して、トリエステ/ブダペスト/ウィーンで軍楽隊長を務めながら作曲に励んだ。その時の各地へ旅した経験が、彼のオペレッタ作品を変化に富んだものにしていると言われている。

1902年に軍務を退いて作曲と指揮に専念。

1902年の「ウィーンの女たち」で成功した後、ウィーンに定住。

1905年の「メリー・ウィドゥ」のオペレッタ史上空前の大成功により世界的名声を博し、ウィーンオペレッタ作曲家の地位を確立した。

第1次大戦後はアメリカのポピュラー音楽に人気を奪われたが、「ほほえみの国」(1929)などで人気を回復。レハールは当時のアメリカポピュラー音楽を大胆に取り入れ、J.シュトラウス (子) とオッフェンバック没後衰退していたこの分野に、20世紀最大のオペレッタ作曲家として最後の黄金時代をもたらした。作品はヒトラーのお気に入りだったにもかかわらず、妻がユダヤ系だったため、第2次大戦後の晩年は不遇だった。

1948年10月24日、バド・イシェルで没。

主な作品

1902年 「ウィーンの女たち」
1902年 「金と銀」
     ウィンナワルツ〜オペレッタ以外の作品も多い
1905年 「メリー・ウィドウ」
1910年 「ジプシーの恋」
     「エバ」(因襲を破って悲劇的社会的な題材)
1925年 「パガニーニ」
1927年 「ロシアの皇太子」
1929年 「ほほえみの国」
     名テノール歌手タウバーRichard Tauber (1891〜1948) のために書いた作品


メリー・ウィドウ

第一幕

舞台はパリにあるバルカンの小国、ポンテヴェデロ(スラブ系の仮想の国)。

公使館では国王の誕生日を祝うパーティが行われている。皆の話題は、巨額の財産を相続した、若くて美しい未亡人、ハンナ・グラヴァリのことばかり。同国のパリ駐在公使ツェータ男爵は、ハンナがパリの男と結婚すれば、その財産が国外に流出して国は財政危機に陥るため、彼女の再婚に頭を悩ませていた。その為、妻のヴァランシェンヌの浮気には気がつかない。

ツェータは、公使館の書記官ダ二ロ伯爵とハンナを結婚させようとするのだが、ダ二ロはいい返事をしない。なぜなら、かつて2人は愛し合って結婚まで考えたのだが、身分の違いから結ばれなかったという過去があるからだった。

その後、ダ二ロはバーマキシムに入り浸るようになる。彼は今でも、ハンナを愛しているのだが、資産家となった彼女との結婚は、財産目当てと周囲から言われそうで踏み切れないのだった。そして、陽気な未亡人ハンナに男達は我先にと言い寄るが、彼女は取り合わない。彼女もまた、ダ二ロを今でも愛しているのだった。

第二幕

ハンナは、煮え切らないダ二ロをからかって「間抜けな兵隊さん」を歌って気をひくが、ダ二ロは乗ってこない。一方、ヴァランシェンヌは、浮気相手のパリの伊達男カミーユの誘惑を断り切れず、東屋で密会しようとするのだが、夫のツェータに感ずかれ、ひと波乱おこりそうになる。

その危機を救ったのは、ハンナであった。密会場所の東屋に裏口から入り、ヴァランシェンヌと入れ代わる。東屋から出てきたハンナとカミーユを見て、皆驚きを隠さない。そして、ハンナはカミーユと婚約したと周囲の人々に告げる。それを聞いたダ二ロは、苦しい胸の内を昔話に例えながら話始める。それを聞いたハンナは、ダ二ロが今でも自分を愛してくれていることに気づく。

第三幕

ダ二ロ行きつけのマキシムの踊り子達と、ヴァランシェンヌがカンカン踊りを踊る。そこでダ二ロは、ハンナとカミーユの婚約が作り話であること知り、やっと2人は素直になれた。

2人の結婚が決まり、ポンテヴェドロ国の財産流出もなくなり、また、ヴァランシェンヌの浮気も無事に収まり、めでたく幕を閉じる。

ジャコモ・プッチーニ
GIACOMO PUCCINI(1858〜1924 イタリア)

ルッカの大聖堂のオルガニストを代々勤める、名門の音楽一家の家に生まれる。宗教音楽家としての人生を送るべく、教育を受けていたが、18歳のとき、ピサで見たヴェルディの「アイーダ」を見て、オペラ作曲家を夢見ることになる。

ミラノの王立音楽院で、パッチーニとポンキエルリに師事。卒業後、師のポンキエルリの計らいで、「妖精ヴィルリ」の台本をもらい、ソンツォーニョ社の一幕ものオペラ懸賞に応募、入賞は逃したものの、ポンキエルリ、ボーイトらの計らいで、1884年に上演、成功を収める。これを機に当時イタリアオペラ界に絶大な力を持っていたリコルディ社(楽譜出版社)と契約。しかし次の作品「エドガール」は失敗に終わる。

三作目の「マノン・レスコー」では、台本作者がなかなかプッチーニの気に入らず、最後にリコルディ社社長のジューリオの計らいでイルリカとジャコーザのコンビが実現。初演は大成功で以後、プッチーニを加えた3人は黄金のトリオと呼ばれて、「ラ・ボエーム」,「トスカ」,「蝶々夫人」と、後の代表作を次々と作曲する。「蝶々夫人」のスカラ座初演は散々な失敗であったが、後に改訂、ブレシアでの再演では大きな成功を収めた。

その後、メトロポリタンでの初演が大成功した「西部の娘」、さらに「つばめ」、「三部作」を発表するが、以前ほどの大きな成功は収めなくなっていた。最後の作品「トゥーランドット」は未完の遺作となった。

1924年、喉の腫瘍によりブリュッセルにて死去。「トゥーランドット」は1926年にトスカニーニにより初演され、プッチーニの代表作の一つとなる。


トスカ

第一幕

時は1800年、舞台は共和派と旧王政派がせめぎあう激動のローマ。

ナポレオンが失脚したという誤報が流れたため旧王政派の勢力が増大し、人々は警視総監スカルピアの恐怖政治におののいていた。そんな中、ナポレオン派の政治犯チェーザレ・アンジェロッティは脱獄に成功し、聖アンドレア・デッラ・ヴァッレ教会の礼拝堂に逃げ込んでくる。教会では、アンジェロッティの旧友で、自由主義思想を持つ名門出身の青年画家、マリオ・カヴァラドッシが絵を描いていた。旧友と再会したカヴァラドッシは、友を匿うことを誓う。

そこへ、脱獄者の逃走経路と睨んだスカルピアがやってくる。

第二幕

アンジェロッティを捜し出せないスカルピアは、重要参考人としてカヴァラドッシを連行する。カヴァラドッシはいくら詰問されても口を割らない。そのため、カヴァラドッシを拷問し、その場を恋人トスカに見せ付け、アンジェロティの隠れ家を吐かせようとする。トスカは、恋人の悲鳴に耐え切れず、アンジェロッティの隠れ場所を白状してしまう。

そんな中、ナポレオン軍が敗走したのではなく王党派が敗走したという報が入ったため、カヴァラドッシは王党派のスカルピアを罵倒し、勝利を高らかに叫ぶ。そのため、今度はスカルピア自身が投獄されることになる。

そこで、トスカはスカルピアに、カヴァラドッシを釈放するよう交渉する。すると、スカルピアは「美しいご婦人とは金では取引しない」と告げる。トスカは交渉に応じ、見せ掛けの銃殺刑執行の約束を取り付ける。そしてスカルピアがトスカに迫った時、トスカはスカルピアをナイフで刺し殺してしまう。

第三幕

処刑を前にしたカヴァラドッシにトスカは、銃殺刑は見せかけだけの芝居でいいように取り計らったことを告げる。そして、空砲が鳴ったら死んだ振りをするようにと伝える。そして、芝居のはずの処刑が執行される。銃声が成り、空砲だと信じていたトスカは、「もういいわ、起きて」と歩み寄る。そしてトスカは恋人の死を知る。

スカルピア警視総監殺しが発覚し、追われるトスカは絶望し、城壁の上から身を投げる。

ジョルジュ・ビゼー
Georges Bizet(1838〜1875 フランス)

1838年10月25日、パリの音楽家の家庭に生まれる。

幼い頃から音楽的才能を示し、9歳でパリ音楽院に入学、グノー、ジャック・アレヴィに学ぶ。

19歳でローマ大賞を受賞。作曲家としての才能を世に示すことになる。その後、オペラを中心に作曲活動を続けるが、当時は必ずしも世間から認められていたとは言い難かった。最晩年の作品「カルメン」のほか、1863年の作品「真珠取り」が今日知られているくらいである。劇音楽「アルルの女」は1872年の作曲。ドーデの戯曲の付随音楽として作曲されたが、劇そのものが不評で公演打ち切りになった後、ビゼー自身が組曲形式に仕立て直したところ、好評を博し、世間からの注目を浴びる。「カルメン」は彼の最後のオペラで、1873年から74年にかけての作曲。初演は1875年3月3日に行われた。そのわずか3ヶ月後の1875年6月3日、37歳の若さで死去する。「カルメン」の初演は必ずしも好評とはいえなかったが、ビゼーの死後次第に評価が高まり、今日ではもっとも上演回数の多いオペラのひとつに数えられている。

主な作品

交響曲第1番     17歳の時の作品。今日残された唯一の交響曲
劇音楽「アルルの女」 演奏会用に再編されたふたつの組曲が良く知られている。
オペラ「真珠取り」  1863年初演
オペラ「カルメン」  1875年初演


カルメン
Carmen

第一幕 タバコ工場前の広場

スペインのゼビリア地方。夕刻、龍騎兵たちの交代の時間である。兵士たちも村の若者たちも、近くのたばこ工場で働く娘たちに興味津々。ジプシー女のカルメンは若者たちのあこがれの的だが、皆にはつれなく、目をつけたドン・ホセ伍長にバラの花を投げつけて誘惑。どぎまぎするホセ。しかしドン・ホセには国許から許嫁がミカエラが訪ねてくる。ミカエラは、ホセの母の使いで来たと言い、母の手紙と「母からの」キスをホセに。たばこ工場の女たちの間でがけんかが始まる。兵士たちが押さえつけ、ホセは主犯格のカルメンを捕まえて縛り付ける。カルメンはホセを誘惑し、縄を解いて逃げてしまう。

第二幕 セヴィリヤの町はずれ「リリャス・バスチャ」の酒場

冒頭ジプシーたちの妖しい歌と踊り。それを楽しむ街の人々に混じって龍騎兵の隊長の姿も。店が終わり、隊長はカルメンやジプシーを誘うが相手にされない。気を引こうとして、監獄に入れられたホセが釈放されたことを話す。そこへ人気の高い闘牛士エスカミーリョがやってくる。皆は歓迎し、エスカミーリョは有名な「闘牛士の歌」を歌う。エスカミーリョは店にいたカルメンを見初め、アタックするが浮気の相手はいやだと断られる。しかしカルメンは何か感じた様子。皆が去った後、ジプシーや盗賊たちの間で、うまい話がある、と相談が始まる。カルメンは恋人に会うから参加しない、と渋るが、皆に説得される。そこへ監獄を出たホセ登場。カルメンはホセを仲間に引き入れようとするがなかなか承諾してもらえない。突然隊長が店に入り、カルメンの名を呼ぶ。店にいたホセとカルメンを見つけ、逆上してホセと斬り合いになるが、駆けつけた盗賊たちに取り押さえられる。隊長と斬り合って戻るところを無くしたホセはやむなく盗賊の仲間になることを承諾。

第三幕 密輸業者の屯する山中の荒涼たる一角

重い荷物を背負った密輸業者たちが一休み。ジプシー女たちはカード占いを始め、大金を手にしたり、すてきな相手に会えたり、と占いの結果に喜ぶが、カルメンが占うと「死ぬ」とでてしまう。驚くカルメン。しかしこれも運命、と歌う。ミカエラがホセを訪ねてくる。私は何も恐れないと気丈に歌う。 ホセは侵入者の姿を認めて発砲。ホセに撃たれかけたのは、カルメンを訪ねてきた闘牛士エスカミーリョ。いったんは非礼をわびたホセは、エスカミーリョとカルメンのことを巡り再び斬り合いに。隠れていたミカエラが捉えられる。すでにカルメンとの関係が冷えていたホセは、仲間から離れることをいやがるが、ミカエラからホセの母が危篤だ、と聞くと驚き、ミカエラと山を降りる。

第四幕 セヴィリヤの闘牛場

今日はエスカミーリョの晴れ舞台。エスカミーリョはカルメンと互いに愛すると歌う。ジプシー仲間のメルセデス、フラスキータは、ホセが来ているから気をつけてね、と心配する。大丈夫、といってわかれたカルメンはしかし気が気でない。不安が的中、ホセがやってくる。ホセはまたやり直そうと迫るが、カルメンは死ぬまで私は自由だ、離して、と歌い、ホセからもらった指輪を返そうとする。かっとなったホセは思わずカルメンを刺してしまう。闘牛場からは観客たちの興奮した歓声が響く。倒れたカルメンの前にひざまずき、愛しいカルメン、と嘆くホセ。

幕。

エメリッヒ・カールマン
Emmerich Kalman(1882〜1953 ハンガリー)

1907年、「秋の演習」でウィーンにデビュー。当時のウィーンは少し前に発表された同じハンガリー出身のレハール作曲「メリー・ウィドウ」が大きな人気を博しており、いわゆる「白銀時代のウィーン・オペレッタ」といわれる時代が始まろうとしていた。以後、情熱的で激しいハンガリーのメロディと情緒豊かなウィンナ・ワルツを巧みに組み合われた作品を作曲、人気を博していった。1915年、「チャルダーシュの女王」を発表、高い評価を受ける。更に1921年には「伯爵夫人マリツァ」が発表され、その人気を不動のものにする。1940年、ヨーロッパに戦争の影が落ちるようになるとアメリカに移住する。戦後は再びウィーンに戻り、再び人気を博するようになる。1953年、パリで死去。

主な作品

1907年 「秋の演習」
1911年 「良き同僚」
1912年 「ツィゴイナープリマス」
1915年 「チャルダーシュの女王」
1921年 「伯爵夫人マリツァ」
1926年 「サーカスの女王」
1936年 「モンマルトルのすみれ」
1945年 「マリンカ」


マリツァ伯爵夫人

第一幕

ハンガリーの農場。管理人タッシーロは、ウィーンの伯爵家の御曹司だが、家が没落したため、身分を隠して農場の管理人をしている。しばらく家を空けていた農場の主人マリツァが、ウィーンから「婚約して」帰ってきた。初めてマリツァに会ったタッシーロは彼女の美しさに息をのむ。マリツァはウィーンから連れてきたという友人を紹介する。その友人とは,別れ別れになっていたタッシーロの妹リーザだった!そこに、新聞でマリツァの婚約者として紹介されたのを読んで、あわててマリツァに会いに来たジュパン男爵が現れる。マリツァはあれはでまかせだ、と言うが、ジュパンは本気になってしまう。タッシーロの父に世話になったという、使用人のチェッコと、ウィーンの想い出に浸ってひとり歌うタッシーロ。傍らで聞いていたマリツァはもう一度歌えと命ずる。が、断るタッシーロに怒って彼をクビにしようとする。パーティが始まり、マリツァを慕うジュパンやポポレスク侯爵はマリツァを遊びに誘うが、どうやらマリツァはタッシーロにひかれている様子。ジプシーの占い師、マンニャは、マリツァを占い、あなたは3ヶ月後に気高く頼もしい人と恋に落ちる、とマリツァに告げる。

第二幕

3ヶ月後。タッシーロはテニスをするマリツァの友達たちの世話に忙しい。リーザはジュパンに恋しているが、当のジュパンはマリツァに夢中でこれに気づかない。タッシーロとマリツァはお互いにひかれているが、主人と使用人の間柄がじゃまして話が進展しない。タッシーロとリーザはお互いの恋愛を語り合う。それを聞いていたポポレスク侯爵は、マリツァに告げ口。タッシーロとリーザは恋仲で、タッシーロはお金目当てでマリツァに近づいているのだ、という。怒ったマリツァはみんなの前でタッシーロを侮辱する。たまらずリーザは「お兄さま!」と叫ぶ。リーザがタッシーロの妹だとわかり、マリツァは自分の誤解に気がつく。いっぽう、リーザと、彼女の気持にようやく気がついたジュパンは結婚を決意。みんなの前で発表する。どちらの話もうまくまとまって、幕。

ガエタノ・ドニゼッティ
Gaetano Donizetti(1797〜1848 イタリア)

ベルガモの生まれ。両親は音楽家ではなかったが、父親は息子の音楽的才能を認め、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂で楽長を務めていた、オペラ作曲家シモン・マイールに息子を師事させる。ボローニャ音楽院で学んだ後ベルガモで(プロとしての)処女作「エンリーコ・ディ・ボルゴーニャ」を発表。1822年にはナポリへ移住。売れっ子の作曲家として活躍する。1828年にはローマの弁護士の娘、ヴィルジニア・ヴァッセッリと結婚。幸せな家庭を築く。1832年、「愛の妙薬」を発表。人気作曲家としての地位を不動にする。1837年には最愛の妻ヴィルジニアに死なれ、その後彼はナポリを離れてパリやウィーンで活躍する。晩年は精神を病み、1848年に死去した。ロッシーニ以後のイタリア・オペラの代表的なオペラ作曲家として活躍した。

主な作品

1822年 「ゾライデ・ディ・グラナーダ」 ローマ
1822年 「ジプシー」 ナポリ
1824年 「当惑した家庭教師」 ナポリ
1828年 「追放されたローマ人」 ナポリ
1830年 「アンナ・ボレーナ」 ミラノ
1832年 「愛の妙薬」 ミラノ
1834年 「マリア・ストゥアルダ」 ナポリ
1835年 「ランモルメールのルチア」 ナポリ
1839年 「連隊の娘」 パリ
1840年 「ラ・ファヴォリータ」 パリ
1843年 「ドン・パスクァーレ」 パリ


愛の妙薬

第一幕
第一場 村の憩いの場所

アディーナは村で一番きりょうが良いと評判で、頭も良い。ネモリーノは風采が上がらず、残念ながらあまり偏差値も高くない男。ところがネモリーノはアディーナが好きで仕方がない。ある日、アディーナは村人たちの前で「トリスタンとイゾルデ」を読んでいた。トリスタンが「愛の妙薬」を使ってイゾルデの心を射止めた、という話を聞き、そんな愛の妙薬があったらいい、と歌う。そこにベルコーレ率いる軍隊が到着。ベルコーレはアディーナに結婚を迫るが、アディーナはすぐには承諾しない。ネモリーノは僕にもあんな勇気があったら、と思い、アディーナに声をかけるがつれない返事。

第二場 村の広場

金ぴかの馬車に乗って立派な紳士が到着。男はドゥルカマーラという薬売りで、何にでも効く飲み薬を売りまくる。ネモリーノは彼に愛の妙薬はありますか、と聞く。ドゥルカマーラはこれがそうだ、といって安ワインを売りつける。ネモリーノはそれを飲むと酔っぱらい、アディーナに大きな態度をとる。それに気を悪くしたアディーナは当てつけにベルコーレと結婚の約束をしてしまう。ネモリーノは焦って1日待ってくれというが、村人たちに馬鹿にされて幕。

第二幕
第一場 アディーナの廷内

結婚式の準備が進められ、ドゥルカマーラも呼ばれて村の娘ジャンネッタと「私金持ち、あなたは美人」と歌う。ネモリーノはもっと妙薬をくれ、というが金がない。ベルコーレから軍隊に入ればお金がもらえると聞いて即入隊。妙薬を手に入れてたくさん飲む。ジャンネッタが村の娘たちを集めて内緒話。ネモリーノのおじさんが亡くなったので遺産がネモリーノの手に入ったのだという。通りがかったネモリーノはなぜか娘たちが彼にちやほやするののを、愛の妙薬が効いてきたんだ!と勘違いする。アディーナはそれを見て不安に感じ、ドゥルカマーラに相談する。そこでネモリーノが軍隊に入ってまで妙薬を買い、アディーナの心を射止めようとしたことを知り感動。ベルコーレからネモリーノの入隊の契約書を買い取る。ベルコーレは事態の変化に驚くが、この世に女はたくさんいる、とあきらめ軍隊は村を出ていくことに。

第二場 再び村の憩いの場所

ドゥルカマーラはネモリーノが愛の妙薬を飲んで、「こころの病を治しただけでなく、いっぺんに大金持ちになったんだ」と宣伝。聞いていたベルコーレはこのインチキ医者め!と怒るが、村人は真に受けて大いに感心し、競って妙薬を買い求める。そして村人たちの大喝采を受けながらドゥルカーマーラは村を去る。

トマ
(1811〜1896 フランス)

トマはグノーやマスネに並んで19世紀フランスの歌劇作曲家。父が音楽教師の環境で育ち、9歳でピアノとヴァイオリンを演奏。1828年からパリ音楽院で学び、1932年にローマ大賞を受賞した。

主な作品

「ミニヨン」(原作:ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」アリア「君よ知るや南の国」が有名)
「レーモン」
「ハムレット」


ミニヨン

第一幕 ドイツの田舎町

ドイツの田舎町の休日。宿屋の中庭には町の人々が集まって、くつろいでいる。そこにジプシーの旅芸人の一座がやってくる。団長のジャルノは一座の少女、ミニョンに、「卵の踊り」をやれ、と命じるが、ミニョンはいやがって踊ろうとしない。怒ったジャルノはミニョンを打ち据えようとするが、通りがかったウィーンの貴族の学生、ヴィルヘルムに助けられる。ミニョンはヴィルヘルムに感謝し、自分は幼い頃にジプシーの一団にさらわれたのだといい、ふるさとの思いで「君を知るや南の国」を歌う。彼はそれはきっとイタリアだろうというが、ミニョンはわからないという。リュートを弾く謎の老人ロタリオは、ミニョンを引き取ろうとするが、ヴィルヘルムは不安に感じ、ミニョンをつれていく。

第二幕 男爵の館

ヴィルヘルムは男爵の催すパーティに誘ってくれたフィリーヌに夢中。ミニョンはそれに嫉妬するが、彼はミニョンを子供としか思っていない。フィリーヌは彼女部屋で衣装を勝手に着たり、お化粧をしたりしていたミニョンに激怒、ヴィルヘルムは子供のいたずらだから、となだめる。ショーが終わって、舞台から戻ってきたフィリーヌはミニョンに、ヴィルヘルムからもらった花束を舞台の袖に忘れてきたので、取ってきて、と命ずる。ミニョンは怒りながらも取りに行く。そのとき雷が落ち、舞台が火事になってしまう。ヴィルヘルムは必死になって、ミニョンを助け出す。気を失ったミニョンを抱きかかえたヴィルヘルムを見て、人々は口々に奇跡だといい、幕が降りる。

第三幕 イタリアの立派な屋敷の中

屋敷の執事のアントニオが独白する。昔この家の子供が波にさらわれて亡くなり、母は後を追い、父はイタリアを去ったのだという。眠りから覚めたミニョンの傍らで、ヴィルヘルムがこれからは一緒に暮らそう、君が好きだ、という。ミニョンは外の風景を見て、何度も夢で見た景色だ、という。そこへ今までとはうって変わって立派な衣装を付けたロタリオがやってくる。ロタリオは実はミニョンの父であり、彼はさらわれたミニョンをずっと探し続けていたのだった。全員で、憂いの日は過ぎ去り、喜びの日が訪れた、と歌い、幕。

ジャコモ・プッチーニ
GIACOMO PUCCINI(1858〜1924 イタリア)

ルッカの大聖堂のオルガニストを代々勤める、名門の音楽一家の家に生まれる。宗教音楽家としての人生を送るべく、教育を受けていたが、18歳のとき、ピサで見たヴェルディの「アイーダ」を見て、オペラ作曲家を夢見ることになる。

ミラノの王立音楽院で、パッチーニとポンキエルリに師事。卒業後、師のポンキエルリの計らいで、「妖精ヴィルリ」の台本をもらい、ソンツォーニョ社の一幕ものオペラ懸賞に応募、入賞は逃したものの、ポンキエルリ、ボーイトらの計らいで、1884年に上演、成功を収める。これを機に当時イタリアオペラ界に絶大な力を持っていたリコルディ社(楽譜出版社)と契約。しかし次の作品「エドガール」は失敗に終わる。

三作目の「マノン・レスコー」では、台本作者がなかなかプッチーニの気に入らず、最後にリコルディ社社長のジューリオの計らいでイルリカとジャコーザのコンビが実現。初演は大成功で以後、プッチーニを加えた3人は黄金のトリオと呼ばれて、「ラ・ボエーム」,「トスカ」,「蝶々夫人」と、後の代表作を次々と作曲する。「蝶々夫人」のスカラ座初演は散々な失敗であったが、後に改訂、ブレシアでの再演では大きな成功を収めた。

その後、メトロポリタンでの初演が大成功した「西部の娘」、さらに「つばめ」、「三部作」を発表するが、以前ほどの大きな成功は収めなくなっていた。最後の作品「トゥーランドット」は未完の遺作となった。

1924年、喉の腫瘍によりブリュッセルにて死去。「トゥーランドット」は1926年にトスカニーニにより初演され、プッチーニの代表作の一つとなる。


ラ・ボエーム

第一幕

時はクリスマス・イブ。所はパリのアパートの屋根裏部屋。火の気のない屋根裏部屋に住む詩人のロドルフォ、画家のマルチェロは寒くて仕方がない。3人目の同居人である哲学者のコルリーネは、質屋に行ったがクリスマス・イブなので休みだったと帰って来る。そこへ4人目の同居人である音楽家のショナールが、薪や食料をもって意気揚々と帰って来る。金持ちに雇われて、うまく稼いできたと自慢話を始める。そして、クリスマス・イブだから外で食事しようと、皆を誘い、出かけて行く。ロドルフォは、書きかけの原稿を仕上げたいと一人残る。そこへ、明かりを貸して欲しいと、美しい娘がやってきた。そこで娘は部屋の鍵を落とし、見失ってしまう。ロドルフォは鍵を見つけるが、ポケットに隠してしまい、娘を帰れぬようにして親しくなろうとする。そこへ、出かけた同居人達が「早く来い」と、窓の外から声を掛ける。そこで、ロドルフォと娘は同居人達の待つレストランへ、共に出かけて行く。

第二幕

クリスマス・イブで賑わう雑踏を抜けて、ロドルフォと娘ミミはレストランへ向かう。途中にある帽子屋で、ロドルフォはレースの帽子をミミへ贈る。そのレストランに、あばずれ女のムゼッタが金持ちの紳士アルチンドロを従えて入ってくる。ムゼッタは、画家のマルチェロが気になってしかたがない。

第三幕

ロドルフォとミミは、愛し合っているのにうまく行かない。ミミが重い病気にかかってしまうのだ。ロドルフォは、病気の原因が、火の気のない部屋に住まわせている自分にあると思い込み、別れた方がミミのためだと思う。

第四幕

時は春。病気のミミと別れたロドルフォは、ミミを忘れられずにいる。そこへ、ミミが近くにいると知らせにムゼッタがやって来る。ミミは咳き込みながら、ロドルフォの元へやって来る。そして・・・

ジュゼッペ・ヴェルディ
Giuseppe Verdi(1813〜1901 イタリア)

北イタリアのパルマ市近郊にあるレ・ロンコーレ村の生まれ。父親は居酒屋と宿屋を営み、音楽的な環境ではなかったが、ジュゼッペは早くから音楽に強い関心を示し、村の教会オルガニストについて音楽を習う。

10歳頃、父親の知人でブッセートの雑貨商、バレッツィの家に住み込み、働きながら音楽を習う。

18歳のときにミラノに留学、歌唱法の大家ラヴィナに師事、対位法とソルフェージュを学ぶ。

1836年、ブッセートに戻っていたヴェルディはバレッツィの娘マルゲリータと結婚。2児をもうける。39年には自作のオペラ「オベルト」をミラノで初演、成功を収める。しかしこの間に二人の子供は相次いで亡くなり、更に40年には妻マルゲリータまでもが世を去る。失望の中、ミラノ・スカラ座支配人メレルリの助けを借りて「ナブッコ」を作曲、圧倒的な成功を収める。この初演でアビカイッレを歌ったソプラノ、ジュゼッピーナ・ストレッポーニと知り合い、後に一緒に暮らすようになる。51年の「リゴレット」は空前の成功であり、世界的なオペラ作曲家としての地位を確立する。更に53年、「トロヴァトーレ」「椿姫」を世に問う。「椿姫」初演は結核のヴィオレッタがあまりにも太っていて不評だったが、後にその真価が認められる。59年には前妻の父への遠慮から入籍をしていなかったジュゼッピーナと正式に結婚。61年には統一された新生イタリアの国会議員に選ばれる。71年、スエズ運河完成を記念してエジプト政府から依頼された「アイーダ」が完成。カイロで初演。74年にはロッシーニの死を悼んで「レクイエム」を作曲。以後は隠遁生活にはいるが、87年には「オテロ」、更に80歳になった93年、最後のオペラ「ファルスタッフ」を作曲している。1901年1月21日、ミラノのホテルで死去。

主な作品

1842年 「ナブッコ」 ミラノ・スカラ座
1847年 「マクベス」 フレンツェ
1851年 「リゴレット」 ヴェネツィア・フェニーチェ劇場
1853年 「トロヴァトーレ」 ローマ
1853年 「椿姫」 ヴェネツィア
1855年 「シチリアの夕べの祈り」 パリ・オペラ座
1859年 「仮面舞踏会」 ローマ サン・カルロ劇場
1862年 「運命の力」 ロシア・ペテルブルク王立劇場
1867年 「ドン・カルロ」 パリ・オペラ座
1871年 「アイーダ」 カイロ
1874年 「レクイエム 」 ミラノ サン・マルコ寺院
1887年 「オテロ」 ミラノ スカラ座
1893年 「ファルスタッフ」 ミラノ スカラ座


椿姫

全三幕 作曲 ジュゼッペ・ヴェルディ

アレクサンドル・デュマの同名の小説をオペラ化。1853年3月6日、ヴェネツィア フェニーチェ劇場で初演

主な登場人物:
ヴィオレッタ: パリの高級娼婦
フローラ  : ヴィオレッタの友人
アルフレード: 純情な若者
ジェルモン : アルフレードの父

第一幕

1700年頃のパリ。ヴィオレッタ・ヴァレリーの家で開かれた夜会にアルフレードが招かれる。一同は新来の客を迎え、みんなで「乾杯の歌」を楽しく歌って踊りに出かける。急にめまいがして部屋に残ったヴィオレッタに, アルフレードは彼女への愛情を訴えかける。その言葉は夜会を終えて一人広間にたたずむヴィオレッタの胸に響き、彼女は自分の運命を思う。

第二幕

アルフレードとヴィオレッタはパリの郊外でひっそりと暮らしている。息子の行く末を心配するアルフレードの父ジェルモンがヴィオレッタを訪ねてくる。ジェルモンは会って話をするうちに、 ヴィオレッタが気高いこころの持ち主であることを知るが、アルフレードの妹の縁談の支障とならないように、 息子と別れてくれと彼女に頼み込む。ヴィオレッタはこれを泣く泣く承諾する。後ろ髪を引かれる思いで家を出た彼女は使いの者に別れの手紙を託す。事情を知らぬアルフレードは怒り心頭、 なだめる父を振りきり、 ヴィオレッタを追う。パリ、ヴィオレッタの友人フローラの家。仮装舞踏会が開かれようとしている。ヴィオレッタは男爵と来ている。ジプシーの占いなどでみんなが楽しんでいる中、 血相を変えたアルフレードが到着。ヴィオレッタはアルフレードをなだめるが聞かず、 彼はみんなの前でヴィオレッタをののしり、賭で儲けた金を彼女に投げつける。まわりの者は彼を非難、 駆けつけた父ジェルモンももはや我が子とはいえぬ、 と怒る。

第三幕

ヴィオレッタの家。街は謝肉祭でにぎわっている。ヴィオレッタは病に伏せ、 やってきた医者も, もう長くはないと召使いアンニーナに言う。ヴィオレッタはジェルモンからもらったお詫びの手紙を読むが, もはや遅いと嘆く。そこへ外国から帰ってきたアルフレードがヴィオレッタを訪ねてくる。突然の幸福に酔いしれるヴィオレッタ。父ジェルモンもやってきて、 今こそあなたを娘と呼ぶぞ! という。しかし時既に遅く、 ヴィオレッタは彼らの前で事切れる。